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万法堂は、中国哲学である儒教、道教と仏教を主に提唱しています。


〜仁と礼の広がり 儒家思想〜


春秋・戦国時代の中国に、諸子百家といわれるさまざまな思想が誕生しました。


その中の 1 つとして、孔子の教えに始まる儒家思想は「仁」と「礼」を重んじ、それらに基づいて、現実の人間関係をよりよくし、すぐれた政治の在り方を求めたことを理解します。


さらに、孔子の思想が後の時代に与えた影響を考えています。


周の時代に重んじられた「礼」を尊重し、親子兄弟間の自然な情愛に倣う「仁」による人間関係をもとに、優れた徳をもつ君子が政治を行うことを求めました。


「仁」は忠恕(おもいやりとまごころ)であり、克己復礼(自分のわがままをおさえて古来の在り方を重んじること)であるなど、さまざまなかたちで仁は語られています。


また、死後のことや超自然のことは語らないとして、あくまでも現実の世界の在り方について語ることを徹底しました。


孔子のもとには数多くの弟子たちが集まり、共同生活を送りながら、幅広い人間教育が行われました。


儒家思想は後代にも大きく発展し、明の時代に生まれた朱子学は、日本に伝わり江戸時代に幕府の公式の学問になるなど、影響を与え続けました。



〜聖人の道の教え 道教〜


道教は、道教は老子、荘子を代表とする諸子百家の一つです。


中国民族の固有の生活文化のなかの生活信条、宗教的信仰を基礎とした、中国の代表的な民族宗教です。


それは漢時代以前の巫祝(ふしゅく)信仰や神仙方術的信仰および民衆の意識などが基盤となって、漢代に黄老(こうろう)信仰が加わり、おおむね後漢(ごかん)末から六朝(りくちょう)時代にかけて形成され、現在でも台湾や香港などの中国人社会で信仰されています。


儒家が現実世界の秩序を重んじ、礼楽的な調和的社会の建設を理想としたのに対し、道家ではそれを人為的なものとして否定し、人間と自然とを貫く統一的な理法性に注目して、その自ずからな秩序に従うことを目指しました。したがって儒家に比べてより観念的で、個人的、精神主義的な色彩も強いです。


老子は、これを小国寡民的原始社会への復帰という形で、一種の政治的提言として主張したが、荘子においては、それは現実の相対世界を超越した絶対自由の境地として、きわめて個人主義的な性格をもつものとなっています。大小、善悪、賢愚、生死などすべての差別は、同じ道のあらわれ方のちがいにすぎず、差別にとらわれずに自由に生活を楽しむべきであると説いたのが荘子です。


老子や荘子の考えは、道を根本として構成されるので、道家と呼ぶことになりました。




〜無常観 仏教〜


仏教の目的地である本当の幸せは、絶対変わらない幸せですので、今日の言葉でいえば、絶対の幸福です。


仏教を聞かなければ絶対の幸福があることも分かりませんので、私たちが求めている幸せは、続かない幸せです。


お金や財産、地位、名誉など、手に入れたときは喜べるのですが、この世は諸行無常の世界です。この世のすべては続きませんので、喜びは一時的で、すぐに色あせてしまいます。


どんなに努力して手に入れたものも、すぐに満たされなくなり、ワンランク上のものが欲しくなります。そして、次の幸せを目指して苦労しなければなりません。そしてそのワンランク上のものを手に入れても、喜びは一時的で、すぐにまた、さらにワンランク上のものが欲しくなります。


どこまで行ってもこの繰り返しです。私たちの命には限りがありますので、これを繰り返しているうちに一生が終わってしまいます。


このような続かない幸せは、どこまで求めても、これで満足したということがありませんから、死ぬまで求め続け、苦しみ続けなければならないのです。


そして最後死んで行くときには、必死でかき集めたお金も財産も、何一つ持っては行けません。


一生を費やして手に入れたものをすべて置いて、死んで行くのです。


このように、変わらない幸せを知らず、続かない幸せばかりを求めて苦しんでいる人に、絶対の幸福を教えられたのが仏教です。


すべての人は幸福を求めて生きていますが、それは儚く消える続かない幸せではありません。すべての人が求めているのは、変わらない幸せですから、この絶対の幸福が、本当の生きる目的なのです。